おとなみ(大人>私)

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おとなみ(大人>私)

体だけ成人した人が色々考えたり、創作したりするブログ

ブログ初め

自分の決め事系

 

■当ブログの目的(当初の話)

目的は資料には必ずなくてはならないと思う。という事で書く。

 

・自分という人間の心理を明かす。
 最悪、何かのサンプルになればいいと思っている。(臨床心理とかのサンプルとかならないかな。ならないよな)

・誰かにいい影響を与えたい。

 こういう考えもあるんだと参考にしてくれたらすごくうれしい。 

・自分の思想「超長期的に見た人間論」と「現在の社会で生きるための人間論」

 を整理する。 

・素晴らしい作品を紹介して、売り上げにつなげる。

(自分の意見が悪い方向に行くかもしれない…。気を付けよう)
(ちなみに広告収入で…などとという事ではない。あれはしない。システムは理解している。しかし、それでも私の知らない誰かの利益のためにシステムに組み込まれるのは癪だし、何より自分が人の記事を見ていて誤クリックとかするとむかつくから)

・自分の為に書く! ※2017/3/16追記

 「誰かの為になれ」と思って書いたものは自分の意見じゃなくなることが多い。それを忘れないように。


■性格
 私は、良くも悪くも、ご都合主義なあまのじゃくである。

 その存在は考えや行動について一貫性が見られず、その大体で矛盾している。

 例えば、当たり前のことにすら疑問を覚え、自分の納得した範囲でしか行動しない。とか言いながら、感覚も信じているので「やってみたい!」と思ったことは即座に行動する。

優柔不断の慎重派かと思えば、時には即決する。そんな矛盾を多く抱えた人間だと思っている。

 

そこらへんも明かせていければいいなあ。と思っている。

 

■思想
 アニメ、漫画、小説、それらに類する同人、二次創作…
 創造の世界は、それに関わる人々が思う理想の世界だ。 

 そして、私はそれらを含めた理想が大好きだ。
 すべて人類はなぜ理想を追い求めないのか、不思議になるくらいだ。 

(なんとなく、私の理想と誰か個人の理想は違うのだとわかってきてもいるのだが…)

 

 本気で、人類すべてが幸せになればいいと思っている。

(まぁ、理想は好きだけど、特許権が生まれて”しまった”意味も知っている。だから、ルールには従った中で表現することは創造することでの最低限の条件だと思ってる。だから頑張って調べてから記事を書いてるけど、何かミスがあれば教えてくれると幸いです)


そして、もう一つ。
人の悪意に触れてしまったときは、人に絶望する。 

その結果生まれた思想が、
「現人類では、すべての人が幸せに暮らすことは不可能。現人類の悪いところを抜本的改善をするため、まず人類の感情を含めたすべてを科学的に解き明かすことに全力を注ぐべき」

 (なんて危険な思想なんだと自分でも思う)

(でも、考えてみても欲しい。例として、絶対に著作権を守ることのできる人類であれば、創造の世界はもっと豊かに発展していたとは思わないだろうか)


■レビュー
 作品についてレビューをすることはあるが、多分ドン引きするほど賛辞するものが多くなると思う。なぜなら、私は「創造」という事に敬意を表しているし、尊いと思っている。そしてレビューするに値すると思ったものは素晴らしい。素晴らしいと思っていることに賛辞を贈らなくて何が人間だ。

 
 そういった意味で、「建設的な議論を考えていない否定で作者の感情を傷つける人」への自分なりのアンチテーゼでもあるかもしれない。
 
(もちろん、より良くするために行われる批判はする。しかし、この批判について最近思うようになってきたのは、間違っていれば”言葉を選ばなくていい”というような勘違いをしている人が多いのではないかという事。そういった人に考えてほしいのは、敬意を持っていない批判を受けて、心情的にそれを受け入れる姿勢になりますか、という事だ)

 

 そして、もう一つ。私は熱しやすく冷めやすい。熱せられている間は”あばたにえくぼ”状態で、レビューというのは大体この場合に書かれると思う。

 冷めるというのは、飽きという面が強いが、しかしそれでも自分の中では、「その作品について吸収できることを吸収して満足した状態」のことを指す。だから、それら作品で得たことは私の無意識の行動や考え方の中にインプットされる。

 無意識にインプットされるというほどの良いことだ。

 つまり、簡単に言えば「こういう事を得たんだぜ!いいだろ!」という自慢だ。興味を持ってもらい、いい影響を受けてくれれば万々歳だ。


■コメントについて
 私の尊敬するブロガーの一人に、「人と関わりたくない、でも言いたい事を言う。だが人と関わりたくないという事でコメントを受け付けないというのは違うから、コメントは受け付ける」というかっこいい人がいる。(意訳、間違ってる可能性大いにあり)

 

 私もこの人と同じく、(いや厳密には違うと思うが)肯定でも批判でもどっちでも怖い。人というものはどんなこともできるので怖い。しかし、私はその人の意見に納得した。そしてその人がそう思うに至った境地というものに至りたい。知りたい。


(自分の感情に逆らう行動というのは裏目に出るぞ…)
(というか、その人も「人に安易に影響されるのはよくない」という旨の記事を書いてじゃないか…裏目に出る未来しかみえない)
 
という事で受け付けるようにしておきますが、私自身繊細なので、頑張る意思ができたときだけしかコメントを返せないかもしれないと思います。
 
(繰り返して言うと、肯定も否定も怖いです)
(否定は言わずもがな、肯定は私のような人間に価値はないと思っており、肯定されるという事を信じられないから裏を見てしまうし、その人が行く道に影響を与えてしまったのではないかと被害妄想を働かせるため。それでも、人の意見によっては否定でも喜ぶことがある矛盾)

(じゃあ書くなよという反論が聞こえる。しかし、人に”いい影響”を与えたいと思う気持ちもあるのだ。そして、影響の受け方は受け手がどう影響したいかによって変わると考えているので…とか言い訳を積み上げるけど、多分、なんか理解されたらうれしいなという自己承認欲求なのだろう)


■最後に
まぁここまで読んでいただけた方は大体わかるだろうが、すごく文章が長いし、理屈っぽい。(おまけに読みにくい。ちょっとは考えるか)

 

しかし、これでもまだ足りないと思っている。本来、人の意志を伝えるためには共通認識が必要だし、相手の反応も必要だ。そして、人の意志は、現代の技術では100%余すことなくすべてを伝えることは不可能だ。

 

だが、それでも書こうと思う。
自己承認欲求と、これからの未来における人類への足掛かり、そして私を喜ばせてくれる創作者たちのために。