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体だけ成人した人が色々考えたり、創作したりするブログ

【自己】王道より邪道をとる【思想】

■目的

 自身の思想を明らかにする。その一環として自分の考え方の一つ「王道より邪道をとる」を明らかにする。

 

■結果

・「王道より邪道をとる」というのは、常識を疑う姿勢であり、その根源は「生きやすい」人生を求めた事に起因していそう。

・しかし、今生きやすいかというとそうでもない。だが、この考えが悪いのではなく、利用できる方法を知らないのではないかと考えている。そのため、今後社会での生き方という事を学んでいくことがよさそう。

(・別件として、個人で楽しむレベルでの小説を書く際には非常にいい能力でありそう)

 

■内容

1.成り立ち、背景

 いきなり自慢みたいな出だしだが、私は小学生の頃から「成績表」上の記録はとてもよかった。

 できなかったことといえば、給食のあさりを食べることができなかったことぐらいだろう。今考えると、給食を食べることができなかったからと言って昼休みがなくなるのは相当にひどい仕打ちだなと思う。

 閑話休題

 ともかく、小学生~社会人になる手前まで「言われたことはそつなくこなす」人間であった。そして、ルールや言われたことは絶対と思っている節があり、それをできない人を見下していたこともあった。そこから転じて真面目と揶揄されたこともある。

 まぁ、そんな風に自ら無駄に敵対していく人生を歩んでいたので、大きくなっていくにつれてどんどん生きづらくなっていった。そしてそれは中学~高1の頃にピークとなる。

「このままではいけない」

 結構本気でそう思って、その時の私から見て”生きやすい”人物であるお笑い芸人やクラスのムードメーカーの存在を観察した。そして、分かったことは、彼らは笑いという人にとってプラスになるもの提供することで、彼ら自身の扱いや雰囲気を良い方向へもっていっていた。つまり、人のためになることをしていた。

(今でこそ、文字として整理できるが当時は感覚でそれをとらえていた)

 私も彼らと同じように”笑い”を提供しようと躍起になった。そして、どんどんと見えてきたのが、彼らは「普通という認識」を面白おかしく捉え直すことにより笑いを提供していたのだ。

 つまり、誰もが共通して行う日常で起きているものを「笑い」という風に変換できないか常に意識を張り巡らせていたのだ。

 私はその中でも「発言した瞬間にあり得ない」とわかる冗談が好きだったので、それを取り入れた。

 例を挙げれば、祭りの屋台で気のいいおじちゃんが「たこ焼き 500万円ね!」という感じの奴だ。

 だから、私は普段の生活から「この状況下であり得ないことと一発でわかることは何だろう」と考え、その考えが面白かったらいうようにしている。

 (最近言ったのは、友「久し振りだね」自分「ああ、50年ぶりくらいだね」とか)

 (…言って受けなかったら、その時はその時で)

 

 そして、案外にこの日常に疑問を思っていくという行為は、笑いを取るため以外にも重要であると気づいた。

 私が見てきた限りの社会では、何かをするとき、”もっと他に良い方法があるかもしれないのに”「伝統による先入観」や「偏見」が先立ち、同じようなことを繰り返していくように見える。そして、このへんてこなところを持つ思考をしていると、その際に先入観にとらわれない思考ができる。つまり、少し視野が広くなるのだ。

 

 例えば、私が学生の時に経験した何かのセミナーで「効率よくペンを作る」ことを考えるセミナーがあった。そのセミナーでは考える前に分業の話がされており、そのあとの作戦会議での論点が「いかに分業の作業工程とその内容を考えるか」というところにいっていた。しかし、このセミナーで提示された条件下(※1)においては、実は「個人ごとにペンを組み立てる」事こそが一番効率の良い方法だった。私は(他の人が真面目に考えていたので)なんとなく「そもそも一人で組み立てる時間ってどのくらいなのかな」と考えていたため結果的にこれに気づくことができた。

 

 このように「一見あり得ない」とされる方法が良い場合がある。そして、常識的なことは、案外他人が考えてくれる場合が多い。

 

 そんな経験則から生まれた考えが、あえて名づけるなら「王道より邪道をとる」という考えだ。

 

※1 どんな条件か忘れた。でも5分とか短時間内だった気がする。あんまりよくわかっていないのだが、「一日の労働」という観点で考えるのであれば、おそらく個人ごとに組み立てるというのは正しくないはず。(アダム・スミスさんのピンの分業とかの話)

 

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2.「王道より邪道をとる」考えのメリット・デメリット

 

 次にこの考えに私が感じているメリット・デメリットを考える。

 メリットは先に述べた通り「選択肢が増える(視野が広がる)」という事だ。うまく利用すれば副次的に「笑いが取れて人間関係が円滑になる」事も望める。(※2)

 また、最近感じているのは、「想像力が豊かになる」という事だ。

 趣味で、「自分の趣味嗜好全開の小説」書いているのだが、これを書くときに以前より情景や登場人物の動きというものが上がってきたように感じる。(まぁ、8年も前からやっているのでただ単に習熟なのかもしれないが)

 

 デメリットは「普通からはぐれていく」ことだ。

 前提として、この考えが通用するのは、「常識に沿った考えをしてくれる人がいて」、「その人たちが賛同してくれる」からだ。そして、この考え方は現実では実現するにはとてつもない労力がかかることがほとんどだ。

 

 まず、日常に疑問を持つという行為は、よくも悪くもその人の考えを「(現在の)世間」から遠ざけていく。選択肢が増えるし視野も広がる。つまり、今まで見えなかった物が見えていく。私の場合、世間知らずで世界平和を本気で考えていたので、打算的な考えで動く人間がいるという事が見えてきたとき、それはとてつもない衝撃だった。

 また、日常に疑問を持つという行為はとても疲れる。なぜなら畢竟、人の一挙一動全てには意味があり、これが極端になってくると、それらすべてに「どういう事か」という事を考えて行動することになってくる。そして、それは他人もそうであり、それを理解できてない人に求めてしまうと、その人は嫌がる。なぜなら、彼らからすれば、それをしなくても今まで生きていけているし、また、これからも考える必要がないように思えるからだ。

(余談だが、「無知の知」で有名なソクラテスが「アテナイの虻」と嫌われた理由は、このあたりにあると個人的に思っている)

 

 そして、もう一つ。今も残っている伝統(≒常識)というのは、歴史の中で彫塑をされてきたものである。つまりどんな形であれ現在まで残っているという事実は「何かしらにメリットがある(※3)」という事でもあるととらえることもできる。

 上記のような事から、実は、メリットとして挙げた例というのは「数少ない成功例」であり、大体の場合が伝統的な考えというものが、現実では、より正しさに近いと思っている。なぜなら、考え方や手法の一新は人数がいる企業において多大なコストがかかる。そんなリスクは誰も負いたくはない。だから、現実、伝統的手法への問題提起やちょこっと改善レベルでの捉え方しかされない。

 それをうまく利用すれば昇進の道具に仕えるが、間違えるとただの口のうるさい奴になる。今、私のことを振り返ってみるとどうも後者になっている気がしてならない。

 

※2 副次的メリットに関しては結局「人を選ぶ」笑いになってしまった。といっても、苛烈という意味ではなく、私が置かれている状況を考えた上での言葉なので、私の考えが分かっていれば面白さが分かるといったたぐいの閉ざされた空間での物。これに関して思ったのは笑いの万人受けという観点では、人間性というところが大事になってくるのかもしれない。

 ※3 「何かしらのメリット」は、「個人にとってメリット」と「組織としてのメリット」が入り混じっており、大体の場合「個人にとってのメリット」が優先されているのではないかと思っている。なぜなら伝統に従うというのは「考える事にコストをかけず、今までの結果(=やっていけている)が得られる」という意味だと思うのだ。

 

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3.まとめ

 「王道より邪道をとる」という考えは、真面目だった頃の「生きづらさ」による反動から生まれれた考えでありそう。しかし、「今生きやすいか」という答えにはNoであり、その目的を見失っている気がする。

 

 で、上記考えについて、現在メリットとして感じているのは「視野が広がる」という点。これは趣味の「妄想(小説)」という点でも役立っている。

 デメリットとして感じているのは「世間の考えからはぐれていく」。ここについては、うまく利用すれば「生きやすく」できそうなので、必要な能力を洗い出して身に着けていくとよさそう。