おとなみ(大人>私)

おとなみ

色々考えたり、創作したりするブログ

【自作小説】『玄関』【旅館シリーズ】

 草葉をかき分け、枯れ葉に沈む足を進める。
 いつ頃始まったのかは覚えていない。いつ頃終わるのかもわからない。自分が何者なのかさえ覚えてもいない。ただ、歩いているうちに「随分と深いところまできたものだ」と思った。
 不思議と疲れを感じなかった。いや、頭の中に突然その「疲れ」という概念が出てきたから反射的にそう思っただけで、「疲れ」という事がどういう状態を指している意味なのか分かっていないがした。
 歩いていくうちに景色が暗くなったり明るくなったりというのを繰り返していることに気が付く。確か、明るくなって暗くなることを1日と呼んでいた気がした。1日のうち、暗い時間帯はなんだか不安だった。だからその時間は足が自然と早くなった。

 

 やがて、人が通っているような跡がついている道へと出る。どちらもその行方は見えず、見える限りでは、左はまっすぐと道が続いており、右は曲がりくねっているようだった。

 「道の形が違うのだな」ということは分かったが、しかし、その違いが私の中に決定づける理由という事にはなっていなかった。そのため左右のどちらへ進むか迷ってしまう。幸い、道には棒があった。それを手に取り、地面に垂直に立てると手を離す。棒は左側の道の方に倒れたため、左側に進むことにした。

 こんなことで決めていいのかと自嘲気味に笑ったが、どこかから「決定権は自分が握っているのだからそれでいい」という声が聞こえたような気がした。女性の声だったと思う。歳は分からないが、老婆というわけではなかった。なぜだか聞き覚えがあり、少しだけ「懐かしい」という感情が浮かび上がってきた。しかし、私の記憶にその女の記憶はない。感情だけが宙に浮いている不思議な状況であった。
 
 道なりにしばらく歩いていくと遠くに煙が見えてきた。誰かいるのかもしれない。久々の人との出会いに気持ちがはやるのを抑えきれず、思わず小走りになる。はて、以前の私は人が好きだったのだろうか。
 
 山中に続いていた道の先に現れたそれは、大きな屋敷であった。玄関と思われる引き戸の上に『黄昏の宿』と書いてある。唐突に「旅館」という言葉が浮かんできた。そして、この宿を一言で表すならその言葉以外にはないだろうと思った。

 

 建物の玄関に立ち、引き戸を開ける。落ち着いた雰囲気の入り口であった。

 
「いらっしゃいませ!お客さん、初めて見る顔だねー。宿泊されますかー?」
 
 そう声を掛けてきたのは、カウンターの向こうにいる水色の髪をした女性であった。そばにはーー食べてようとしていたのだろうかーーまんじゅうが置かれていた。彼女は薄い桜色に染まった綺麗な着物を着ていた。特に柄はなく、ただ上品に美しい。近くに寄るまでは気が付かなかったが、下にいくほど色が濃くなるデザインをしている。少し面白く感じた。
 
「美しいな」

「あはは、よく言われますー」
 
 思わず口に出してしまった言葉に、女性は快活に笑いとばしてみせる。着物ばかりに見惚れていたが、彼女の顔立ちは言葉の通り、ある種の尊敬を抱くほど確かに美しかった。しかし、こうじろじろと見るのは失礼だな。彼女は気にしないようであったが、今後は少し気をつけよう。
 
「それで、どうされますかー?」

「ああ、そうだったな。では泊まらせてもらうとする」

 そういってから、こういった場所では金銭が必要だと思い出した。幾日もの間歩き通していたものだから忘れてしまっていたのか。いくら持っていたか確かめようとしたが、しかし、そこで金を一銭も持っていないことに気が付いた。
 
「あ、何泊してもらってもお金は頂きませんよー。そういう場所なので!」
 
 そういう場所が果たしてあっただろうか。考えたこともなかったので、少し考える。

 先ほどのこの女性の発言は、恐らく私の行動を察したからこその言葉だろう。つまり「私と同じく”宿に泊まることに金銭が必要な国の人間”がこの宿に訪れることは度々あって、そうした人たちは総じて私と同じような反応をした」とも考えられる。そうすると女性がそういう思考に至った事は自然と思えた。国や文化は色々ある。事実は小説よりも奇なり。偏見をなくすと、なるほど確かにそういう文化圏の国なのかもしれないと思った。知らない道を歩いてきたのだ。知らない国にたどり着くこともあるだろう。女性も承諾している事であるし、それについては考えないことにした。
 しかし、ルールとしてはそれでよいのかもしれないが、私の中の何かが対価を支払わないことに気後れしてしまっていた。その私の様子から、またこちらの心情を察したのか、女性は少し悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
 
「まあ実は対価がないわけじゃないです。お客さんの場合はー、うーんそうだなあ。…わたし、創作大好きなんです。だから、お客さんの作品を見せてくれるってのはどうですかー?見たところ、画家さんか小説家さんっぽいし!」
 
 どこからその考えにたどり着いたのか。私は不思議に思って彼女の視線の先を追う。どうやら背負っていた鞄に答えがありそうだ。しかし、いつの間にこんなものを持っていたのだろう。先ほどからこういう事ばかりだ。記憶喪失というものなのかもしれない。

 下ろして確認してみると確かに鞄のポケットから筆らしきものが見えていた。鞄の中身を確認してみると、どうやら小説家と画家、両方であるらしいことが分かった。中身をみて、なぜだかそこだけは明確に思い出せた。とすると、自分の作品は手元にあり、そして自身にも作品をつくりだす能力というのはあるという事だろう。後者は記憶が不確かな今、少し微妙であったが、前者は幸いに完結しているものがいくつかあるようだった。

 あとは「自身の作品を見せることを対価とする事について私がどう思っているか」であるが、しかしそれは不思議と自分の中で調和がとれる答えであった。


 …ここまでしてからやっと「人前で鞄を漁るというのはどうだろうか」という思考がどこかから湧き出てくる。だが、別段女性は気にしていない様子である。これには少し違和感を覚えたが、まあどうでもいい気もした。
 
「よしわかった。この旅館にいる間は私の作品を好きに使ってくれて結構だ。それに、そうだな。せっかくだから、この旅館にいる間は寄贈するための作品を幾つかかきあげよう」

「わあ!それは素敵なアイデアです!ぜひお願いします、先生」

「はは、先生とはすこし照れるな。ええと…」

 そこでまだ自己紹介もしていないのを思い出す。こういう時は自身の名前を言うのはマナーという事を思い出した。自分の名前…。そういえば先ほど鞄の中を見たとき、アゾトという名前が書籍の表紙に書いてあった。自分の名前はきっとそれだろう。
 
「アゾトだ。これからしばらく世話になる」

「ディアだよ。よろしくねー、アゾト先生!」

 そういう女性の笑顔は素敵だった。
 その喜ぶ姿を見て、唐突に天啓を受けた気分になった。「間接的に」ではあるが、今の話の流れというのは”私の作品が人を喜ばせることとなった”とも捉えることができる。それを理解したときの私の感情は、心に一陣の風が吹き抜けていくようなとてもいい気分であった。人の為になるということはかくも素晴らしいのか。

 私が今持っている作品を書いていた理由は覚えていないが、もしかしたらこのように誰かを喜ばせたいという所から始まったのではないか。そんな気がした。