おとなみ

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色々考えたり、創作したりするブログ

【雑談】人は「誰かの為」という目標があれば頑張れるんじゃないかという話

 

フリーゲーム「愛と勇気とかしわもち」のネタバレあり

 

■前書き(という名の本編)

 最近「愛と勇気とかしわもち」という3分ゲー(フリゲ)を過去のHDDから発掘した。主人公を助けられなかったので封印していたが、調べてみると助けられるという事が発見できた。(当時の私はそれだけ情弱だった)

 という事でその時に感じた事を書いていこうと思う。

 

■内容

 「愛と勇気とかしわもち」はいわゆるパズルゲーである。

 言葉で説明するのは難しいが、一手で消すと連鎖できて、それで高得点を狙える感じである。

 詳しいパズル要素解説はこちら → 愛と勇気とかしわもち

 

 とりあえず、私は取説は読まない派であり、パズルゲーが絶望的に不得意である事を述べておく。(ぷよぷよで2連鎖くらいまでしかできない*1

 

 まずは前提として、このゲームのネタバレをしていく。

 このゲームはパズルで遊んでゲームオーバー(タイムアップ)すると、女の子の発言と不思議な世界観のアニメーションがカットインとして入る。そして、その内容がどんどん物騒な事へと変わっていく。

 というのも各カットインのテキストから読み取れるのは、

  ・女の子は入院している

  ・快復する見込みはかなり低そう(いつになったら元気になるのかな?)

  ・甘い物(パズルに出てくるもの)食べたいな → 弱っていく

  ・言葉が断片的になっていく 

  ・緊急治療室に運び込まれる

 そして、このカットイン毎に、タイトルに甘い食べ物として周りを装飾していた物が注射器や救急セット、薬のようなビンと言ったものに置き換わっていき、画面中央付近で手を繋いでいた女の子と男の子が少しずつ右側へずれていく。

 まるで男の子が女の子をどこかへ連れていこうとしているかの様に。

 

 そして、最後の緊急治療室のくだりの後に男の子が死神のような容姿に変わり、その後のパズルでゲームオーバーになると女の子の悲鳴と共に、タイトルやゲームオーバー画面から女の子と男の子が消える。

 

 当時の私はそれに唖然としながらも、何回かその状態でプレイしてみた。

 何か変わるのではないかと、様々な所をクリックしてみたが変わらなかった。

 

 私は絶望した。元々からパズルゲーに苦手意識を覚えたこともあって、それからパズルゲーにだけは手を出さないようになるほどには傷ついた。

 

 そして冒頭に書いたように、それから数年して私はこのゲームを再発見した。

 今は以前よりは賢くなっていたので、きっと女の子を助ける方法があるのではないかとネットの海で調べた。

 そしてこのゲームには実は先があることが分かった。と言うのも、もうすでに女の子がいなくなった画面で50000点という点数を取れば、女の子が奇跡的に病気を快復するのだ。

 

 それを聞いて、昔放置していたはずのそのゲームをやり始めた。

 

 

 このゲームの取説を見ればわかるのだが、このゲームはぷよぷよみたいに4つ並べればお菓子を消せて、それを一手で消すと「連鎖」になって、どんどんと高得点を取得するゲームである。

 

 しかし私は前述したように取説を読まない派であったために、ただ単純に何手かかって消すという行為で50000点を目指していた。それを2時間続けて最高得点が240点であったので、流石に何か違和感を覚えた。

 それで、禁忌ではあるが、クリアした人のプレイを見てみることにした。そうすると、私が見た事のない「○連鎖」という数字が画面上にある事に気が付いた。そして何回か繰り返す内に「一手で消せば連鎖が増えていく」ということに気が付いた。

 これに気付かず2時間続けていたのだから馬鹿である。

 

 そして、戦いが始まった。

 前述していたように、私はパズルゲーが壊滅的に下手だ。というのも、元々DQのような「長考できるRPG系」が好きでパズルゲー特有の「短い時間で考える」といった物に滅法弱かった。

 パズルゲー以外でもそれが求められるシューティング、戦略SRPG(戦術SRPGは得意)等のゲームは忌避している理由もそれだと思う。

 

 だので当然、私はその連鎖に気が付いても、以前よりもマシ程度の得点しか叩き出せなかった。そして、これは頑張るという意味で間接的にかかわってくるのだが、このゲームを見つけるまでに他のゲームをしていて、「32時間ぶっとおしで起きている」状態だった。

 

 であるのに「女の子を助けたい」。ただその一心で、最終的に前述の2時間+4時間起きて頑張るという意味の分からない行為を行った。

 

 そう、「女の子が助けれる」。その事が自身の無理を押し通してでも達成するという気持ちを生み出した。

 昔は放棄したのに、「誰かの為」という事が自身の犠牲に気が付いてでも達成したい事柄へと変わった。

 

 まあ結果は当然のごとくパフォーマンスも落ちていた為、それだけやっても最高得点は5600点だった。そしてそれはたしか6時間中の4時間くらいの辺りの得点であり、その後も越えられなかったというのにそれだけ頑張っていた。

 

 私は過去の自分を他人として見る傾向にある。

 だから、その自分に対してバカという言葉と共に「すごい」という感情が浮かんでいた。

 

 そして今でも50000点を目指している気持ちはある。

 

 その他にも、過去の自分に畏怖を覚える事がある。

 例えば、私は昔バンド活動をしていた。最近になるまで楽器になんてほとんど触っていなかったが、その時期の私はどんな無理難題にも睡眠時間を削ってでも応えていた。

 例えば、音楽経験2年目にして「タッピング」や「連続ハンマリング&プリング」等が詰まった凄まじいギターソロがある曲を「耳コピ」するとか。それと並列して11曲(ギター、ベース、ギターボーカル等)の曲をバンドスコアありだとしてもコピーするとか。

 

 今見返すとよくできたなと思う。今のさび付いた私の腕では出来なかった。

 でもその無理難題を出して来た友人の事がとにかく好きだったのだ。だからできたんじゃないかと思う。

 

 これらの出来事から私は「人は「誰かの為」という目標があれば頑張れるんじゃないか」と思った。

 

■あとがき

 これを書いていて、この話は「私は」という修飾子が付きそうだなと思った。

 というのもよく考えると、この話の本質は「目標」という言葉であって、そして「目標とするもの」は人それぞれであるからのようが気がするからだ。

 

 そして、目標とは「自分がそうしたいという感情」だと思っているので、結局私の場合、「誰かの為」ではなく「”誰かの為”に行動する自分が好き」という独善的感情から来てるのかなぁとも思ったりした。

 

 誰かの為。いい言葉に聞こえるけど、それが無くなってしまったら自分を喪失する。

 危ういなぁ。

 それについてはいずれ整理しようかな。ここに書くかは分からないけど。

*1:というのも私はストーリーを楽しみたいのであって、ストーリーがないようなものに興味が持てなかったからだ(いや、ぷよぷよに関してはストーリーあるんだけど、友達の家で対戦しかしなかったからストーリーが無いものだと勘違いしていた)まあ、それはともかく私はそれからパズルゲーに苦手意識を持ち、一切やらなかった感じだ。このゲームはストーリーがあったからとりあえずプレイしてみた)